「こう言ってから、地面に唾をして泥を作り、その泥を盲人の目に塗られた。」(ヨハネ 9:6,新改訳2017)
イエス様は、生まれながらに視覚障がいを持っていた人に出会われました。弟子たちは、この人の苦しみが誰の罪によるものかを尋ねます。主は「神のわざがこの人に現れるため」と、苦しみの目的を語られます。そして、その人の目を開かせることで、神がなさるわざを現されることにされます。
しかし、その方法が不思議です。唾で土を練って、その人の目に塗られます。ぎこちなく、汚くも感じられます。さらに、シロアムの池まで歩いて行って洗うようにと言われます。視覚障がいのある人は、恥ずかしいと思われたであろうその時間を、丸ごと受け入れます。多くの疑問と闘わなければならなかったでしょうが、彼の貧しい霊がすべての時間を耐えさせました。そして、光を見ました。
「土を練る」という言葉は、創造のとき「塵から造られ」という表現と同じです。「塗る」という意味は「油を注ぐ」と同じ意味を持ちます。主が私たちを新しくされるとき、そのプロセスがすべて理解できず、みじめに感じられることがあります。しかし、嫌に見え、悲観的としか思えなかったその時間が、主が私たちを新たに形造り、油を注いでくださる時間であることを望み見ます。私たちの苦しみと痛みを取り上げて神がなさるわざを現してくださる主の御手に、自分自身をお委ねしたいと思います。
今日のメッセージから考える信仰の問い
1. 今、理解できない苦しみや試練の中にいるとき、主がその時間を通じてあなたを新たに形造り、油を注いでおられるかもしれないと感じたことがありますか?その体験を思い出してみてください。
2.イエス様が視覚障がいの人に「シロアムに行って洗いなさい」と言われたように、あなたも主の方法が理解できなくても信頼して従った経験がありますか?そのときの恵みをどのように受け取りましたか?
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本文 出典:国民日報 “https://www.kmib.co.kr”



