What is Sacrament

聖礼典とは、ギリシャ語のミュステリオンを日本のプロテスタント・キリスト教会において訳した言葉で、キリスト教の礼拝における特別な恵みの業を示しています。
聖礼典は、内的な、あるいは霊的な目には見えない神様の恵み、キリストの恵みを、目に見えるしるしを用いて、わたしたちをキリストに結びつける神の恵みを表しています。
宗教改革者たちは、聖書におけるイエス・キリスト、すなわちキリストご自身に根拠を求めることができるものとしては、洗礼と聖餐(聖体)だけであるとして、この2つを聖礼典(サクラメント)として定めました。
現在では、聖公会とプロテスタントの多くの教会で、一般的にこの2つを聖礼典と認めています。
洗礼は、主イエス・キリストを救い主と信じ、生涯に1度だけ受けます。そして、主イエス・キリストを救い主と信じて洗礼を受けた者が、定期的にいただくのが聖餐です。

洗礼とは

洗礼(せんれい)は、イエス・キリストを自分の救い主として信じた者が、その信仰を神様と人との前で公にするものです。ギリシア語の「バプテゾー」には、「浸す、あるいは水の中に浸ける」という意味があり、日本語では浸礼とも称する場合があります。
純福音教会では、全身を水につけ、もう一度水から引き上げられるこの「浸礼」(バプテスマ)の形を伝統的にとっています。これは、自分を縛り、悩ませてきた「罪」が死に、その束縛から解放されて、新しく生まれ変わったということを意味しています。
ただし、バプテスマを受けたからといって、自動的にクリスチャンになったわけではありません。バプテスマの水に浸されたら、不思議な力が備わって変身できるようになる、というわけでもありません。バプテスマの水そのものに、魔法の力があるわけではないのです。
神様は、バプテスマを受けるときの、私たちの心をごらんになっています。神様を信じて、神様を愛してこれを受けるとき、神様は大きな恵みをくださるのです。

聖餐とは

主イエス・キリストは十字架に架けられる前に、弟子たちと共に「最後の晩餐」と呼ばれる食事をされました。その際、主イエス・キリストはパンと杯(ぶどう酒/液)を弟子たちに分け与え、パンを「これはわたしのからだである」、ぶどう酒を「これは、多くの人のために流すわたしの契約の血である」と言われ、「私を記念して今後もこのように行いなさい」と言われました。
それは、イエス・キリストの命懸けの行動が弟子たちを救いへと導き、希望と勇気と平安を与えたことを思い出すためだったのです。これが聖餐式の始まりです。
教会では、礼拝において聖餐式が行われ、イエス・キリストによる救いを信じて洗礼を受けた教会員がパンとぶどう液をいただくことができます。
さらに、聖餐は、恵みのしるし、また救いをもたらした主イエス・キリストの死と復活を思い起こす行為でもあります。従って、聖餐は信仰を持った人にのみ意味があることですから、すでに洗礼を受けている人だけがこれにあずかります。また、どこの教会でも、洗礼を受けた方は聖餐を受けることができます。
なお、聖餐で食する行為そのもの、すなわち聖餐にあずかることを、プロテスタント教会では陪餐、カトリック教会では拝領、東方正教会では領聖とよばれます。

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