今日は棕櫚の主日です。イエス様が公生涯の最後の過越の祭を控え、へりくだってロバの子に乗ってエルサレムに入城した日です。これは十字架の苦難に向かう最後の一週間、受難週の始まりでもあります。今日の御言葉を通して、聖殿の清めから最後の晩餐、ゲッセマネの祈り、十字架の苦難に至るまでのイエス様の愛と犠牲、また謙遜を深く黙想する時間になるようにお祈りします。
1.謙遜のしもべとして子ろばに乗ったイエス様
預言者ゼカリヤが語った通り王の王であるイエス様は、ロバの子に乗ってへりくだってエルサレムに入りました(ゼカ9:9)。世の王たちが威厳と権威を誇示するために豪華な行列を組んだのとは違い、イエス様は低くみすぼらしい姿で来られました。このようにイエス様の生涯は柔和と謙遜、または仕える人生でありました(マタイ20:28)。今日のキリスト人たちに最も必要な徳目の一つがまさにイエス様に似た謙遜の姿勢です。謙遜はすべての関係を回復し、世を変える力があります。イエス様に習って、最も低くなり、仕えながら生きていく私たちになるようにお祈りいたします。
2.イエス様の御言葉に従順したロバの子の持ち主
イエス様はエルサレムの入り口であるベテパゲに着いた時、二人の弟子に向こうの村に行ってロバの子を連れて来なさいと語られました。その時ロバの子は「主がお入り用なのです」との一言に条件なしに喜んでロバの子を渡しました。ロバの子の持ち主のように、神様の御言葉に即刻的に従順する人が祝福を受けます。信仰の先祖アブラハムもイサクを捧げなさいという神の命令が下った時、理解できなくても直ぐ従順したため、その信仰により大きな祝福を受けました(創22:16-17)。今日の私たちも絶対従順、絶対肯定、絶対感謝の人生を生きていかなければなりません。従順はすべての問題を解決するカギであり、その後ろに神様の驚くべき計画と祝福が隠されております。
3.十字架で全然類のため犠牲されたイエス様
イエス様はゲッセマネで祈りを捧げた後、イスカリオテのユダが連れて来た群れに捕まりました。そのあとアンナスやカヤパ、ヘロデとピラトのもとに苦難を受け、あらゆる侮辱と苦しみを耐え忍びました。それにも関わらず、イエス様は一言の言い訳もせず沈黙で苦難を耐えました。そして最後に十字架の上で全人類の罪を贖う犠牲のいけにえになられました。イエス様の死により、罪と死亡の権威は崩れ落とされ、全人類に向けて救いの道が開かれました。イエス様の犠牲により私たちの人生に大きな祝福が臨まれたことです。イエス様の大きい愛に感謝して、私たちも日々主のために自分を捧げる人生を生きていく私たちになるように主の御名でお祈りいたします。