キリスト教信仰のポイントは、イエス・キリストの十字架です。イエス様が私たちの罪の代わり十字架の上で亡くなられたことにより私たちは罪と死亡から解放され神様の子どもとして祝福ある人生をいきるようになりました。それゆえ一生涯、十字架の恵みに感謝してただイエス・キリストの十字架だけを誇る信仰の人にならなければなりません。
1.自分が死ななければならない
人は誰も自己中心的に考え、利己心と怒り、また憎しみにとらわれやすいです。イエス様とともに十字架に釘打たれて死ぬというのは、このような罪と欲望に縛られた自身、即ち、古い人が死ななければならないことを意味します。教会を迫害した使徒パウロもイエス様に出会った後、世の誇りをちりあくたと考えて日々自分を十字架に釘打てる人生を生きました(ピリ3:8,Ⅰコリ15:31)。自分の考えや自尊心を下ろす時、聖霊の恵みが臨まれ、真の自由と喜びを享受することができます。このように私たちはキリストの中で日々自分を殺して、聖霊充満になって家庭と教会、また国を生かす人として生きて行かなければなりません。
2.自分の内におられるキリストが生きるべきだ
自分の中にいる古い人がキリストとともに十字架に釘打たれて死ねば、私たちの内にいるキリストが生きるようになります(ガラ2:20)。これは私たちがキリストの中で新しく創造されたことを意味します(Ⅱコリ5:17)。キリストの中で新しい被造物になった人は、もうこれ以上、罪と悪魔の奴隷ではなく、イエス様を人生の主人として迎え入れて生きます。どのような状況の中でもイエス様より自分を先に立たせません。「あの方は盛んになり、私は衰えなければなりません(ヨハ3:30)」と、御言葉のようにいつも自分自身を低くしてただイエス様だけを高める人生を生きる時、神様の素晴らしい恵みと祝福が与えられます。
3.キリストを信じる信仰の人生を生きるべきだ
私たちは相変わらず罪の多い世の中を生きていますが、キリストを信じる信仰の中で弁えた人生を生きていかなければなりません。神様は信仰の人々を喜ばれ、信仰の人々とともにおられます(へブ11:6)。そしてそ信仰の基礎は、まさにイエス・キリストの愛です。イエス様が私たちのために十字架ですべてを与えてくださった愛に力を得て、隣人を愛し、仕え、犠牲する小さいイエスの人生を生きていかなければなりません。十字架の前で自分自身を否認し、イエス様の愛で新しく生まれ変わって、日々勝利を得る人生を生きる私たちになるように主の御名でお祈りいたします。