感謝は、私たちが豊かで幸せになり、意味のある人生を生きるように導きます。感謝のない人生は、霊的に病んでいる信仰であり、不幸という裁きをすでに受けているような人生だと言えます。私たちキリスト人は、一生涯満ち溢れる感謝の人生を生きていかなければなりません。
1.ツァラアトに冒された十人の人
イエス様がエルサレムに行かれる道にサマリアとガリラヤの境を通られたことがあります。その時、ある町に入られたイエス様は、ツァラアトに冒された十人の人に会います(ルカ17:11-12)。ツァラアトに冒された人々は、一般の人々と隔離されたところで住まなければならず、また、偶然にも人に出会ってしまうなら、石に打たれてしまうため、遠く離れていなければなりませんでした。彼らは、家族と社会から捨てられて絶望の中で生きている人生でした。しかしこのツァラアトに冒された人々の絶望は、罪の中で生まれて、死の中で死んでいくこの世のすべての人々の姿のようです。誰も治せないこの罪のツァラアトを癒してくださるお方はただ真の道であり、真理であり、命であられる私たち主イエス様だけです。
2.私たちをあわれんでください
ツァラアトに冒された十人の人々は、イエス様に会った時、声を上げて「私たちをあわれんでください」と言います。彼らをあわれんでくださったイエス様は「行って、自分のからだを祭司に見せなさい」と語られ、この言葉通り祭司たちに向かい、彼らはきよめられました(ルカ17:14)。このようにイエス様が私たちをあわれんでくださると奇跡が起こります。私たちの問題が何であってもどのような病の中でいても、主の憐みと御言葉の恵みを受けて神様が施される力ある奇跡を体験する私たちになるようにお祈りいたします。
3.賛美と感謝の人生
主の御言葉で癒されたツァラアトに冒された人は全員十人でした。しかしその中でイエス様に立ち返って主の足もとにひれ伏して感謝した人は、サマリア人だけしかいませんでした(ルカ17:15-16)。その他の九人は、ツァラアトから癒されたにも関わらず、各々の道を生きましたが、この一人だけは神様に栄光を帰しながら主の御前まで出てきて感謝の告白を捧げました。イエス様は、この人に「立ち上がって行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです」と語られました(ルカ17:19)。私たちが一生涯神様に捧げるいけにえは、感謝のいけにえ、賛美のいけにえです(詩篇50:23)。私たちを救ってくださった神様が世の終わりの日まで感謝で栄光を捧げ、聖徒の本分をつくす私たちになりますように主の御名でお祈りいたします。