キリスト人は世に送られた塩と光のような存在です。塩が入った食べ物は味が加わり、光が照らされるところには暗闇が退かれるようにキリスト人がいる所には人生の喜びと幸せ、明るい生気がなければなりません。このような存在の目的通り生きるために私たちはいつも神様に近づける人生を生きていかなければなりません。
1.神に近づきなさい
神に近づくことは「罪から離れる」ことであり、「二つの心を抱くことなく、神様だけ見上げること」を意味します。もし私たちが神様に近づけると神様も私たち近づいてくださいます(ヤコブ4:8)。私たちの心に虚しさと絶望をもたらす世を見ることなく、ただ御言葉と祈りを通して神様に近づいて行かなければなりません。自分自身を神様から離れさせた罪と咎があるなら、主に悔い改めて赦しを求めなければなりません。自分自身を低くしてへりくだって神様の御前に出ていく人は、主が憐れんでくださり、祝福してくださいます。
2.主の御前でへりくだりなさい
人間は生まれつきから高ぶり、利己的な罪の本性を持ちます。ましては神様に仕えますと言う人々の中にも徹底的に自己中心的に生きる人々がいます。神様が探している人はへりくだった人です。神様の御前で自分を高くする者は低くされ、自分を低くするものは高くされます(マタイ23:12,ヤコブ4:10)。王の王、万軍の主であるのにも関わらず、膝間づいて弟子たちの足を洗ってくださったイエス様のへりくだった姿を似ていく私たちになるようにお祈りいたします。
3.互いに悪口を言い合ってはいけません
エルサレム教会の指導者であったヤコブは、聖徒たち、特に教会にリーダーたちに「お互いに悪口を言い合ってはいけない」と語りました(ヤコブ4:11-12)。聖書に記録された通り、律法の完成は隣人を愛することです。もし誰かが隣人を愛することなく、悪口を言うならば、それは神様の律法を逆らうことと同じことです。私たちは悪口と判断、争いのためではなく、愛と赦し、和解のため呼ばれた人々です。「互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたが私の弟子であることを、すべての人が認めるようになります」(ヨハネ13:35)。主の明確な御言葉の前で、恥ずかしいことのない真のキリスト人として一生涯を生きる私たちになるように主の御名でお祈りいたします。