誰にでも人生の道は辛く苦しいです。すべてが揃えられている良い環境の中にいる人であったとしても、人生に伴う寂しさと霊的な孤独までは避けることができません。イエス様は、肉身を持ってこの地にいた間、このような人々の実存的な苦しみと痛みを全て体験されました。そのためイエス様は、私たちのすべてを知っておられ、そのゆえ私たちを真に助けることができる主であります。
1.助けてくださるイエス様
私たちの主イエス様は、この地におられる間、苦しんでいる人々の友となってくださり、傷ついている人々を癒してくださいました。また主は、罪がなかったのにも関わらず、私たちの罪と死の問題を解決するため、懲らしめられ、鞭に打たれる受難を受けました(イザヤ53:5)。このようにイエス様は、人が人生の中で受けるすべての試練と苦難を直接体験されたため、私たちを十分に助けられる救い主になられました(へブル2:18)。私たちの真の助けになるイエス様だけに委ねていくと、苦しみの多い世の流れに左右されない信仰の道を歩むことができます。
2.憐みを施されるイエス様
イエス様は、公生涯の中で3度涙を流されたことがあります。一度目は、マルタとマリアの兄弟ラザロが死んだ時(ヨハネ11:35)、二度目は、将来崩れるエルサレムの都をご覧になった時(ルカ19:41-42)、最後は、十字架の背負う前ゲッセマネで祈った時(へブル5:7)です。イエス様の涙は、私たち個人と主の民、共同体、また全人類に向けた神様の愛と憐みを見せてくださいます。辛い人生の道を生きる間、人と世に委ねることなく、私たちを憐れんでくださる主の御前に出ていき、真の慰めと平安を享受する私たちになられますように主の御名でお祈りいたします。
3.恵みの御座におられるイエス様
聖書は、私たちが世を生きる間、時によって私たちを助けてくださる恵みを体験するため「恵みの御座」の御前に近づいていくことを勧めます(へブル4:16)。この恵みの御座におられる方は、正に私の主イエス様です。神様に向かって信仰を抱き、祈りと願いをもって進み出ると、主が人生の中で疲れている私たちの涙を拭い取ってくださり、いこいのみぎわに伴われます(黙示録7:17)。一生涯イエス様だけを羊飼いとして、主の導きに従う信仰の人生、従順の人生を生きる私たちになられますように主の御名でお祈りいたします。