人生を生きる間、問題なしに平安な時間だけ過ごす人は誰一人いません。いくら人気を享受し、富と名誉、権力を持っている人であっても、人生の深い絶望と寂しさから避ける道はありません。ただ目を上げて主だけを見上げ委ねる時、私たちは人生の暗闇と絶望を乗り越えて、真の喜びと平和を享受して生きることができます。
1.主に喜べ
人生を生きてみれば、ひどい目に遭って絶望したり、寂しさと苦しみの中で挫折する時があります。このような時、私たちに真の慰めと平安を与えてくださる方はただ神様だけです。そのため私たちはいつも主に委ねて生きて行かなければなりません。もし罪を犯したならば、悔い改めて立ち返り、天から与えられる主の恵みと愛を回復しなければなりません。神様は、私たちを抱かれ赦してくださり、慰めてくださる良きなる神様です(イザヤ12:1)。神様が与えられた恵みを日々豊かに享受し、これを赦してくださった主に感謝と賛美の告白を捧げる私たちになりなければなりません。
2.神は私の救い
私たちが仕える神様は、私たちの救いです。神様は罪と死、人生を避けることのできない深い絶望と苦しみの中から私たちを救い出してくださいます。人生の苦しみにあう時、問題と敵によって悔しい時、私たちは人に委ねたり、人間的な方法を探すことではなく、ただ天におられる私たちの神様の御前に出て行かなければなりません。私たちの視線と中心を主に合わせて、切に助けを求めると、神様は私たちをすべての苦しみから救い出してくださり、私たちを通して栄光と賛美を受けてくださいます(詩篇50:15、イザヤ12:2)。
3.神は私の喜びの根源
神様は苦難の多い世の中で、私たちに真の喜びを与えられるお方です。多くの人々が人生のまことの幸せと安定と平安を探すため、渇き、さ迷っていますが、喜びの根源であり、救いであられる神様に会ってこそこのような人生の渇きから逃れることができます(イザヤ12:3、ヨハネ4:13-14)。神様が与えてくださる喜びは永遠の喜びであり、奪われない喜びであり、絶えず湧き上がる聖霊の生ける水のような喜びです。イエス様の中にある救いの喜び、聖霊充満の実として与えられる真の喜びを一生涯享受しながら、隣の人々に分かち合える人生を生きる私たちになるように、主の御名でお祈りします。