デンマークの宗教哲学者セーレン・キェルケゴールは、1849年「死に至る病」というタイトルの本を著述しました。この本は人間の「実存的な絶望」を扱います。すべての人はこの地で生まれ死に至るまで人生の絶望と戦いながら苦しむ存在です。このような絶望の問題は神様との出会いを通してこそ、祝福になれます。
1.絶望に置かれた人間
イエス様の公生涯当時、カペナウム地域にはヤイロという名前の会堂司がいました。彼はユダヤ人から尊敬を受けている身分の人でありましたが、一人しかいない娘が病気により死んでいく状況であったため、大きな絶望の中に置かれていました。彼はイエス様が病を癒されるという話を聞いていましたが、ユダヤ教の宗教指導者たちがイエス様と交わることを禁じられていたため、イエス様の近くに行きませんでした。しかし自分の一人の娘が死にかけていることを見て、彼はどのような非難も覚悟してイエス様の御前に出ていき主の助けを求めました(マルコ5:22-23)。会堂司の高い身分や、自尊心等のすべてを降ろしてへりくだり、イエス様の御前で跪きました。人の力で乗り越えられない絶対的な絶望の問題を解決する道は、ただ主イエス様の御前に出てきて主の助けを求めることです。主が私たちの祈りを聞いてくださると人生のすべての絶望が退かれ奇跡が起こります。
2.信仰の前進
ヤイロの切なる願いを聞いたイエス様は、直ぐ彼の家に向かいました。しかし向かっている途中、遅くなってしまったため、ヤイロの娘が死んでしまいました。イエス様はこの話を聞きましたが、関係なく歩かれました。隣で歩いている顔が真っ青になったヤイロにイエス様は「恐れないで、ただ信じていなさい」と語られました(マルコ5:36)。ついに会堂司の家に到着した時、イエス様は絶望の中で目をつぶっているヤイロの娘の手を取って「起きなさい」と語ります(マルコ5:41)。主の愛の手、癒しの御手に捉われた少女は、直ぐ死から立ちかえって歩き始め、それを見たすべての人々はとても驚きました。イエス様の御手と御声には罪と絶望で死んでいく人々を新しい命で起こさせる力があります。今日もイエス様は、絶望の中にいる人々に「起きなさい」と語られます。イエス様の十字架を握って立ち上がり、一生涯信仰の前進をしていく私たちすべてになるように、主の御名によってお祈りいたします。