わたしがあなたを洗わなければ、あなたはわたしと何の関係もありません。」(ヨハネ13:8)

 イエス様は弟子たちのしもべとなって、彼らの足を洗われます。死が目前に迫っていることをご存知だった主が、最後まで行われたことは愛の奉仕でした。最後まで愛をもって生き、愛しながら死んでいかれました。イスカリオテのユダはその愛を拒みました。愛と奉仕を力のない無用なものと軽んじました。代わりに力を求めたのです。

 一方、ペテロは主が自分の足を洗おうとされることを受け入れられず、辞退しました。その愛と奉仕を受ける資格がないと思ったのです。主は「わたしがあなたを洗わなければ、あなたはわたしと何の関係もない」とおっしゃいます。そこでペテロはようやく「全身を洗ってください」と言います。

 主の聖なる手が、最も汚れた私の足を洗ってくださるという、到底受けとめきれない愛が私にも臨みました。この洗いは、パウロが語った御霊にある洗い、すなわち聖霊による新しくされることです。 「あなたがたの中のある人たちは以前はそのような者でした。しかし、主イエス・キリストの御名と私たちの神の御霊によって、あなたがたは洗われ、聖なる者とされ、義と認められました。」(Ⅰコリント6:11、新改訳2017) つまずき、砕かれ、汚れてしまった私の体と心を厭わず、日々洗ってくださる主の愛を、私は受けたいと思います。

 主よ、到底受けとめきれないその愛の奉仕に、私の恥を差し出します。救い主の尊い血によって清めてください。そして「あなたがたもこのように愛を選ぶ人生を生きよ」という主の召しに応えるきょう一日でありますように。

今日のメッセージから考える信仰の問い

1. イエス様は弟子たちの足を洗われる中で、死を目前にしながらも最後まで愛の奉仕を選ばれました。あなたの日常の中で、主の愛をどのように受け取り、またその愛を周りの人々と分かち合うことができると感じますか?

2.「日々、私の足を洗ってください」という祈りの言葉のように、主が毎日つまずいた私たちを清め、新しくしてくださることを信じるとき、どのような希望と慰めを感じますか?

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文 出典:国民日報 “https://www.kmib.co.kr

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