「神の子、イエス・キリストの福音の始まり。」 (マルコ 1:1)

 人は何のために生きるのでしょうか。世は成功と所有を語りますが、聖書は神を栄光とすることこそ人生の真の目的だと教えます。マルコは福音書の冒頭で、イエス・キリストが神の救いの喜びの訪れであることを宣言します。 

 この福音の扉の前に、バプテスマのヨハネが立っています。彼は荒野でひたむきに自らの使命を果たしました。多くの人の視線と関心が自分に集まりましたが、彼は自らを高めませんでした。むしろ「私はかがんで、その方の履き物のひもを解く値打ちもありません」(マルコ 1:7)と告白し、人々の目をただイエス様へと向けさせました。 

 私たちも目立ちたい、認められたいと思います。しかし福音は、私ではなくキリストが現れる人生へと私たちを召し出します。バプテスマのヨハネの偉大さは、人々の拍手ではなく、自らを低くして主だけを高めた忠実さにありました。 

 今日も、私の名前よりイエス様のお名前がより尊く現れることを願います。委ねられた場所で静かに忠実に歩み、私たちの人生が主を照らす謙遜な器となるよう祈ります。。 

今日のメッセージから考える信仰の問い

1.あなたの日々の生活の中で、自分ではなくイエス様を「現れさせる」ために、どのような小さな一歩を踏み出すことができますか?

2.バプテスマのヨハネのように「委ねられた場所で忠実に」生きることで、あなたはこれまで主のどのような恵みを経験してきましたか?

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文 出典:国民日報 “https://www.kmib.co.kr

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