しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれたことによって、神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます。(ローマ人への手紙 5:8)
神様はイスラエルの民を祝福したいと願われました。その中でも、特に平安(平強)を与えたいと願われたのです。このように、神様がご自分の民に与えたいと望まれる最も大切な祝福の一つを挙げるとすれば、平安は決して欠かすことのできないものです。
神の愛は、条件付きではありません。私たちに愛されるに値する理由や根拠があったから愛してくださったのでは、決してありません。私たちがまだ罪人であったとき、弱さのゆえに神に従うこともできなかったとき、そして神と敵対していたときでさえ、神は私たちを愛してくださいました。
神のこのような愛は、まだ罪人であった私たちのために、独り子イエス・キリストを十字架にお渡しくださることによって、明らかに示されました。ですから十字架は、神が私たちを無条件に愛しておられるという、何ものにも代えがたい「保証の証」にほかなりません。私たちが何か良いことをしなければ愛してくださらない、ということではなく、私たちの行いや態度にかかわらず、神のほうから先に愛してくださったという、確かな証拠なのです。
ですから今日も、私たちは神の愛のうちにとどまって生きること、それだけで十分なのです。私たちがまだ罪人であったときに、すでに確証してくださったその愛の中で、何の恐れも不安もなく、まことの平安と喜びをもって歩んでいく——そのような私たち一人ひとりとなれますよう、祝福いたします。
今日のメッセージから考える信仰の問い
1.私たちがまだ罪人であったときに先に愛してくださった神の無条件の愛を思うとき、今日あなたの心に一番深く響くのはどのような点ですか。
2. 神の愛を「自分の行いや態度によって得るもの」と感じてしまう瞬間はありませんか。十字架によって確証された愛の中で、今日どのような恐れや不安を主にゆだねたいですか。
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本文 出典:国民日報 “https://www.kmib.co.kr”




