ヨハネ4:28
彼女は、自分の水がめを置いたまま町へ行き、人々に言った。
サマリアの女は毎日水がめを持って井戸に出てきましたが、空虚さと関係の渇きは相変わらずでした。しかし、イエス様に出会った瞬間、彼女は生涯の重荷であった水がめを置いて町へと駆けていきました。人生の中心が「自分の渇きを解決しようとする試み」から「生ける水を伝える喜び」へと完全に変わったのです。
私たちもまた、表面的には豊かさを追求していますが、心の深いところが空虚で、容易に不安と崩れを経験することが多くあります。人々の認めや世の成就は一時的な満足に過ぎません。真の満たしは主からのみ来ます。私たちがイエス様から受けた愛と恵みで内面が満たされる時、初めて私たちは周りの人々に何かを要求する存在ではなく、惜しみなく分かち合う存在となるのです。
今日、私たちはサマリアの女のように、自分の足りなさよりも主を証しする喜びを選びましょう。主から受けた生ける水を流し出しながら、周りの渇いた心を潤す分かち合いの存在として生きる時、神が与えてくださる永遠の希望と喜びが私たちの内に溢れるでしょう。今日一日も、主が与えてくださった生ける水で渇いた世に小さないのちの波を流し出す私たちとなることを願います。
今日のメッセージから考える信仰の問い
問い1:あなたは今、「自分の渇きを満たすこと」と「主が与えてくださった恵みを分かち合うこと」のどちらに人生の中心を置いていますか?
問い2: 主イエス様から受けた愛と恵みを、今日、誰とどのように分かち合うことができるでしょうか?
純福音川越教会
出典:国民日報 “https://www.kmib.co.kr”



