コリント人への手紙 第一 8:13
ですから、食物が私の兄弟をつまずかせるのなら、兄弟をつまずかせないために、私は今後、決して肉を食べません。

 コリント教会の中には、偶像に献げられた肉を食べても構わないという人々がいました。偶像は何の実体もないものだからです。しかし、信仰の弱い人々は「偶像に献げられた物を食べるなんて、身を汚すことではないか」と大きな混乱に陥りました。このとき、パウロは弱い聖徒を配慮しない知識は高慢であるとして、そのような場合、自分は一生涯肉を食べないと言います。

 一般的に人々は、自分の望むままに語り行動する「できる自由」だけを主張します。もう一つの「しない自由」については考えない傾向があります。イエス様は神と等しくあることを主張されませんでした。パウロは使徒としての権利を主張しませんでした。家族のために贅沢をしない自由、配偶者のために淫らにならない自由、隣人を敵視しない自由、教会の益のために騒ぎを起こさない自由、これらすべても自由です。これは仕える心の別の表現であり、イエス様に似た姿でもあります。あなたが仕えるために「しない自由」には何がありますか。

純福音川越教会

出典:国民日報 “https://www.kmib.co.kr

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