黙示録 1:12
私は、自分に語りかける声を見ようとして振り向いた。振り向くと、七つの金の燭台が見えた。
ヨハネはまず声を聞きます。そしてその声の源を見るために体を向けます。神の啓示はこのように聴覚と視覚を通して与えられます。しかし、それを悟り、掴むためには、私がまず体を向けなければなりません。
私たちはなぜ聖書を読むのでしょうか。単に人生の慰めを得たり確証を受けるためでしょうか。いいえ、違います。み言葉は私の人生の転換点を作るために与えられます。私を変化させ、成熟させ、何より信仰に火をつけるために読むのです。聖書は教養書籍ではなく、霊的戦いの教本です。
ヨハネが体を向けた時に見たものは七つの金の燭台でした。そしてその金の燭台の間にイエス様が立っておられました。黙示録の神学によれば、この燭台は七つの教会を象徴し、その教会はイエス・キリストの光を入れる器です。
この一つのことは確かです。教会は私の転換点を助ける場所です。時として教会に向けて嘲笑と嘲りが投げかけられることがあります。しかし忘れてはなりません。そのような教会の間にイエス様が立っておられます。そして今なおその光を入れることができる器が教会なのです。
ハレルヤ!主の平安と喜びに満たされる一日となりますように、主の御名によってお祈りいたします!
純福音川越教会
出典:国民日報 “https://www.kmib.co.kr”