黙示録 1:7
7見よ、その方は雲とともに来られる。すべての目が彼を見る。彼を突き刺した者たちさえも。地のすべての部族は彼のゆえに胸をたたいて悲しむ。しかり、アーメン。

待つことは、時には希望ですが、時には絶望でもあります。待つ時間が長くなるほど、信仰は揺らぎ、疑いは大きくなることがあります。だからこそ、待つことは解釈の時間でもあるのです。信仰の人はどのように待つべきでしょうか。ヨハネの黙示録は、驚嘆しながら待つことを語っています。「その方は雲に乗って来られる。」このみことばは、単なる終末の予報ではなく、確実な再臨の約束です。彼を突き刺した者も、彼を待ち望んだ者も、みな目で見ることになります。待つことは結局、「見る」という信仰によって完成されます。ヨブは「私はあなたのことを耳で聞いていました。しかし今、私の目があなたを見ました」(ヨブ記42:5)と告白しました。待つことの終わりは驚嘆です。神様に本当に出会う瞬間、その時は必ず訪れます。今日、あなたが待ち望んでいる神様はどのような方ですか。その方が目の前に現れる日、あなたはどのような心でいるでしょうか。信仰があるゆえに堂々としていられるその日を期待しながら、今日も一歩ずつ待ち望みながら生きていきましょう

 ハレルヤ!主の平安と喜びに満たされる一日となりますように、主の御名によってお祈りいたします!

純福音川越教会

出典:国民日報 “https://www.kmib.co.kr

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