黙示録 1:6
また、ご自分の父である神のために、私たちを王国とし、祭司としてくださった方に、栄光と力が世々限りなくあるように。アーメン。
黙示録は私たちを指して「祭司」と呼びます。イエス・キリストが神のために私たちを祭司として立てられたと語ります。この手紙を受け取った人々は、1世紀ローマ帝国の迫害の中で生きていた平凡なクリスチャンたちでした。苦難と恐れの中で揺れ動き、世の力の前に無力さを感じていた人々。誰が見ても祭司と呼ばれるには程遠く感じられた人たちです。しかしヨハネは断固として語ります。「あなたがたが祭司です。」おそらく彼は祭司を「とりなし手」として理解していたでしょう。とりなし手は限界と葛藤、境界の真ん中で和解を作り出す人々です。ヨハネは彼らが守り抜いた福音、耐え忍んだ苦難、教会への忠誠、そのすべての生き方が神の国を建て上げていくとりなし手の使命だと信じていました。
今日、私たちはこの問いの前に立ちます。私は今、何を守り、何を抱きしめて生きているのか。私の信仰は誰と何の間に立っているのか。福音の価値をつかんで生きていくその生き方こそが、まさにこの時代のためのとりなし手の歩みかもしれません。そしてその一歩一歩が神の国を築いています。。
ハレルヤ!主の平安と喜びに満たされる一日となりますように、主の御名によってお祈りいたします!
純福音川越教会
出典:国民日報 “https://www.kmib.co.kr”