1ヨハネ 3:3
キリストにこの望みを置いている者はみな、キリストが清い方であるように、自分を清くします。
ヨハネは「望みを持つ者は今から自分自身を清くする」と語ります。その望みとは、まさにイエス様が再び来られる時、私たちが主のようになるという望みです。続けてヨハネは、イエス様が清い方であるように、あなたがたも清く生きなさいと強調します。
イエス様は清い方です。主を望み見る人は、主に似た者になりたいと願います。そして、その似た者になりたいという心が、今日、私を自ら清くする生活へと導きます。自分を清くするということは、単に善良に生き、道徳的に正しく生きることだけを意味しません。まるで旧約の祭司が神の前に出る前に、自分を洗い、衣を着替え、心まで清めたように、神の前に立つことのできる者として自分自身を備えることを意味します。同時に、神を畏れる心で自分自身を整え、清く保つ生活です。
私たちは常に自分自身に問わなければなりません。私はイエス様の再臨を本当に望んでいるだろうか。その望みが今日の私の行動と言葉と思いをより聖なるものにしているだろうか。私がより清くすべき人生の領域はどこだろうか。
この清さは、ただ善良に生きることではなく、神の前に立つ者にふさわしく生きる心の姿勢なのです。
ハレルヤ!主の平安と喜びに満たされる一日となりますように、主の御名によってお祈りいたします!
純福音川越教会
出典:国民日報 “https://www.kmib.co.kr”