1ヨハネ 2:2
この方こそ、私たちの罪のための、いや、私たちの罪だけでなく、世全体の罪のための宥めのささげ物です。
イエス様は私たちの罪の代わりに血を流してくださいました。私たちが何か良いことをしたからではなく、神が私たちを先に愛してくださったゆえに、その愛の証拠として十字架を背負われたのです。しかしヨハネはここで止まりません。「私たちの罪のためだけでなく、世全体の罪のための宥めのささげ物です」と告白しています。
この御言葉は、当時のユダヤ人信仰の狭い境界を打ち破る宣言です。イエス様の宥めは特定の民族だけのための恵みではありません。人種、国境、過去の失敗、傷を超越した宇宙的愛なのです。
その愛が今日も私を呼び、私の隣にいる異邦人と弱い者、見知らぬ者たちを招いておられます。イエス様が宥めのささげ物となって死なれたことは、単に罪責感を取り除くだけでなく、神との関係を回復する唯一の方法なのです。
ですから福音は私だけのものとして止まることはできず、もともと世に向かって開かれている神の救いの方法だったのです。今日の私は、イエス様を私の罪のための宥めのささげ物として毎日信じているでしょうか。もしかして私の信仰は自分だけのための安全地帯に留まってはいないでしょうか。イエス様の十字架の愛を全世界に向けた召しとして信じ、今日も誰かに向けたその愛を伝える神の子どもたちとなりましょう。
ハレルヤ!主の平安と喜びに満たされる一日となりますように、主の御名によってお祈りいたします!
純福音川越教会
出典:国民日報 “https://www.kmib.co.kr”