詩篇42:5
わがたましいよ、なぜおまえはうなだれているのか。私のうちで思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。御顔の救いを。
感激的な礼拝を捧げられず、大切な聖徒の交わりさえ失われると、心の中にどんどん不安と落胆が生まれます。これがまさに霊的な停滞です。 この時、詩人は「神に望みを置きなさい」と言います。神に向かう者に聖霊の恵みが注がれるからです。
渇きが続く中でも、私たちは最後まで神の恵みを待たなければなりません。詩人は逃亡しながらも落胆することなく、神様への希望を持ちました。 神様を思い出しながら祈ると、彼の心の中では枯渇しない「神様のインスピレーション」が湧き上がり、彼の口から賛美が溢れ出します。
これがまさに神様が彼と共におられる証拠であり、神様が彼を訪ねて来られたしるしでした。 もちろん、心の中に神様の恵みが訪れたからといって、すべての困難が解決されたわけではありません。 しかし、大きな困難は小さな恵みによって崩れ始めます。困難な時ほど、落胆せずに神様を見なければならない理由がここにあるのです。
ハレルヤ!主の平安と喜びに満たされる一日となりますように、主の御名によってお祈りいたします!
純福音川越教会
出典:国民日報 “https://www.kmib.co.kr”