イエス・キリストの誕生は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人がまだ一緒にならないうちに、聖霊によって身ごもっていることが分かった。夫のヨセフは正しい人で、マリアをさらし者にしたくなかったので、ひそかに離縁しようと思った。(マタイ1:18-19)

ヨセフは婚約者であるマリアが受胎したことを知り、大きな混乱に陥りました。 自分はマリアと同衾した事実がなかったからです。ヨセフはこれを明らかにせず、静かに片付けようとしましたが、聖書はその理由を指して、彼が「正義の人」だったからだと言います。 当時の伝統によると、不正な行為が発覚したら、公に明らかにして争いを覆すのが正義でした。 つまり、ヨセフがマリアの過ちを明らかにし、その責任を問うのが正義でしたが、ヨセフはそうしなかったのです。 そうすると、ヨセフは「正義の人だったから」ではなく、「正義の人であったにもかかわらず」マリアのことを静かに処理しようとしたのです。
クリスチャンは正義でなければなりません。 しかし、世の中の正義ではなく、神の御心が基準となるべきです。私たちに対する神の思いは希望です(エレ29:11)。お互いに励まし合い、希望を失わないように立ち上がる人になるとき、主は私たちの義が書記官やパリサイ人の義よりも優れていると認めてくださるでしょう(マタイ5:20)。新年は、神様に認められる義のある人生を生きることを願っています。