幸福への招待 第1634号

행복으로의 초대
2026年2月22日(日曜日) ヨイド純福音教会 純福音家族新聞社


「この方こそ、私たちの罪のための、──私たちの罪だけでなく、世全体の罪のための──宥めのささげ物です。」
Ⅰヨハネ2章2節

"He is the propitiation for our sins, and not for ours only but also for the sins of the whole world." — 1 John 2:2


📝 メインコラム|韓国人であるという誇り

韓国がどれほど美しく素晴らしい国であるかは、海外に暮らしてみるとより深く実感するようになる。私が住んでいるノルウェーで「韓国を知らない」と言う外国人にはまだ一度も会ったことがない。

放課後の小学校の教室ではK-POPに合わせて歌い踊る外国の子どもたちを簡単に見かけることができるし、保護者に会えばそれぞれが自分の観たK-ドラマがとても印象深く面白かったと語ってくれる。

韓国の自動車やさまざまな製品もまた、このノルウェーで大きな愛を受けている。名節になると教会で食べ物を分かち合う際にも、多くの外国人の配偶者やその知人たちが教会を訪れ、一緒に礼拝を守りK-フードを楽しみながら幸せな時間を過ごしている。

最近では韓国に行って文化を直接体験することが自分だけの「バケットリスト」だと語る外国人が増えており、これまでなかった韓国行きの航空路線がこの地にも新設された。こうした変化を見つめながら、韓国人として深い誇りと感謝を感じるのである。

大韓民国は世界の多くの国の人々が憧れる美しく幸いな国だということを覚えていたい。長い歴史の中で受け継がれてきた貴い伝統と、目覚ましく成長した現代文化が調和を成しており、困難な時にも互いに助け合う温かい心と情が息づいている国、それがまさに私たちの大韓民国だ。何よりも神を畏れる無数の聖徒の礼拝と祈りが韓国の地に満ちあふれているという事実が、どれほど誇らしいことだろうか。

2026年、大韓民国に迫るさまざまな挑戦と問題もまた、神の御助けの中で知恵深く乗り越え、韓国文化と共に福音を力強く伝え、宣教大国として最後の時に貴く用いられる民族となることを切に願い望む。


❓ Q&A|教会で捧げる「礼拝」とは何ですか? ②

キリスト教を一言で定義するなら「神に礼拝を捧げる宗教」と言えるだろう。では「礼拝」とは一体何を意味するのか?

「礼拝する」を意味するギリシア語の動詞「プロスキュネオー」と共に、「礼拝」を意味するギリシア語の名詞「ラトレイア」がある。この単語は「仕える」「奉仕する」という意味のギリシア語動詞「ラトリューオー」に由来する。

名詞「ラトレイア」(礼拝)はまず「報酬や見返りのための奉仕」を意味し、次に「奉仕の日の労苦や働きのような身体的奉仕」を意味した。ここから派生して最終的には祭儀的かつ宗教的な意味を持つ「神々を崇めること」、すなわち「礼拝」を意味するようになった。この語は新約聖書に5回登場するが、旧約聖書において「犠牲の祭祀」として認識されていた礼拝を意味するものとして現れている(ローマ9:4、ヨハネ9:1,6、ヨハネ16:2、ローマ12:1)。

このような意味から導き出される礼拝の意義は「仕えることと奉仕を実践し、献身的な犠牲を通して神を崇める行為」であると言えるだろう。

使徒パウロもローマ12章1節で「ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です」というみ言葉を通じて、クリスチャンが捧げるべき礼拝は明確に世と区別され、神のみ旨に一致する形で、その内的生活と外的行為が結びついたものであることを強調した。(次号に続く)

キム・イェノク牧師


📰 教会ニュース|自立準備青年たちの楽しい名節送り

イ・ヨンフン牧師、後援金を伝達し激励

ヨイド純福音教会のイ・ヨンフン担任牧師は14日、ソンシンビソンにて財団法人ヘンボカンデハンミングク(幸福な大韓民国)主催の自立準備青年「楽しい名節送り」に後援金を伝達し激励した。

イ・ヨンフン牧師は「大韓民国の未来は私たちの青年たちにかかっている。自立準備青年たちが夢と希望を持ち前へ進んでいくことを応援する。私たちの未来を建てていくには多くの人々が共にすべきだと願う」と語った。

行事に参加したAさんは「自立準備青年たちに見せてくださるイ・ヨンフン牧師と教会の愛と関心に感謝申し上げる。今回は自立準備青年たちが児童福祉施設を訪問し、彼らにも希望を届ける計画だ」と述べた。この日の場には幸福な大韓民国のパク・ユンオク理事長、教会学教育委員会のキム・ハンス委員長が同席した。

文=ポク・スンヒ / 写真=クム・ジファン記者


🌿 今日の糧|息を整える時間

真冬、葉をすべて落とした木は生命をすべて止めたかのように見える。しかし植物学者たちの観察は全く違う話を聞かせてくれる。冬の間、木は「休眠」という深い休息期に入っている。この時期に光合成と呼吸を最小限にし、春や夏に蓄えた養分をエネルギー源として寒さに耐えている。

実に興味深い事実は、この静かな瞬間にも地中では根の成長が止まないということだ。木は休眠している間、根に炭水化物と窒素化合物を蓄え、春が来ればすぐに葉を芽吹かせる準備を整えている。外見上は止まっているように見えるが、この時期こそが最も激しく内実を固める成長の時間なのである。

木だけの話ではない。私たちもまた、休みなく走り続けてきて速度を緩めなければならない時や、目に見える成果もなく一日を耐えなければならない時、その時間が無意味に感じられることがある。しかし冬の木が教えてくれるように、静かな時間の中にあっても見えない根は深まっている。時として飛躍的な跳躍よりも、黙々と続けることの方がより大きな力を発揮する。

旧正月の連休が終わった。新たな始まりと出会いの中にあっても、しばし息を整える余裕を自分に与えてほしい。その短い休息が疲れた心を再び起こす力となるだろう。冬の木が休みながら春を備えるように、休息を通してそれぞれのペースで歩みを整え、再び前へ進む力を養う穏やかな時間となることを願い望む。


⛪ 世界で最も大きな「母の懐」── ヨイド純福音教会

1958年5月18日 大造洞の天幕教会にて5名の聖徒から出発 → 68年が経った今、独立した諸教会を含め88万名の聖徒が登録する世界最大の教会に。

この68年の歳月は、私たちの現代史の裏道で疲れ傷ついた人々の肩を起こし、イエス様の福音で希望を灯し、世界で最も大きな「母の懐」をつくり上げてきた時間です。

貧しく、病み、疎外され、今大きな絶望の前に立っているなら、母の大きな懐のように温かいヨイド純福音教会へお越しください。

ここにあなたのための席を空けてお待ちしています。


🕊️ イ・ヨンフン担任牧師 主日説教

主にあって光であり

エペソ人への手紙5章8〜11節


人は人生を歩む中で、自分が誰であり何のために生きるのかについて、明確なアイデンティティと目標を持って生きなければならない。

しかし私たちは自分の力ですべてを解決することはできない。私たちは不完全な存在だからである。同時に私たちは神のかたちに造られた者として、神にだけ頼るとき、人生の真の意味を見いだすことができる。

私たちは日々、神の御前に自分がどのような姿で立っているのかを振り返らなければならない。それを通して、私たちすべてが主にあって光として生きていくことを願い望む。

❶ 主にあって光である

人類の先祖であるアダムとエバが罪を犯して以来、すべての人が罪の中に生まれ、罪の中に生き、罪の中に死んでいく絶望的な存在となった。「すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず」(ローマ3:23)。

しかし神は私たちを愛してくださり、独り子イエス・キリストをこの地に遣わされた。罪なく汚れなきお方として、誰でもイエス様を信じる者は罪の束縛から解放され、闇から光へと移された神の子どもとなった。使徒ペテロは私たちの変えられた身分について次のように宣言している。

「しかし、あなたがたは選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です」(Ⅰペテロ2:9)

もはや私たちは罪と死の僕ではなく、イエス・キリストの尊い血潮の功績により、神の子どもとなったのである。イエス様は私たちを「闇を照らす光」と言われた。

「あなたがたは世の光です。山の上にある町は隠れることができません。また、明かりをともして升の下に置いたりはしません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいるすべての人を照らします」(マタイ5:14〜15)。

光の子どもとして私たちは、絶望のあるところに希望の光を灯し、悲しみのある場に喜びの光を灯し、傷と苦痛のある人に癒やしと回復の光を照らさなければならない。

❷ 実を結ぶ生き方

光の子どもとなった私たちは、言葉ではなく、生活をもって実を結ばなければならない。使徒パウロは善、義、真実が光の実であると説明している(エペソ5:9)。

善とは、慈しみとまことの実として、私たちの財貨、時間、心を絶望の中に生きている人々に分かち合うことにより、神の栄光をこの世に現すことである。「このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせなさい。人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようになるためです」(マタイ5:16)。

義とは、神が正しいと認めてくださる生き方である。このために昼も夜もみ言葉を黙想し、神の国と義をまず求め、すべてを神にお任せして進んでいかなければならない(マタイ6:33)。

真実とは、人々と共にいる時も一人の時も変わることなく、神の聖なる光の中を歩むことである。神は真実に行う者を喜ばれる。「偽りの唇は主に忌み嫌われる。真実を行う者は主に喜ばれる」(箴言12:22)。

このように善と義と真実の実を結び、日々神が与えてくださる福を味わう生き方をしなければならない。「幸いなことよ 悪しき者のはかりごとに歩まず 罪人の道に立たず 嘲る者の座に着かなかった人。まことに その人は主のおしえを喜びとし 昼も夜も そのおしえを口ずさむ」(詩篇1:1〜2)。

❸ 主を喜ばせる生き方

私たちが善を行い義を施し真実に行うすべてのことは、神を喜ばせるためである。私たちは神の栄光のために造られた存在であり、食べるにしても飲むにしても何をするにしても、神の栄光のために生きなければならない(イザヤ43:7、Ⅰコリント10:31)。

神が与えてくださった時間と健康、そして才能を自分の欲のために空しく使わず、ただ主の栄光のために用いなければならない(エペソ5:15〜16)。

これは自分の力と能力では成し得ない。ただ聖霊の助けによってのみ可能である。私たちが聖霊に満たされるとき、どんな苦難も問題も困難も十分に担うことができる。

さらに、常に喜びをもって賛美することができ、すべてのことにあふれる感謝をもって神のもとに進み出ることができる。それゆえ私たちは日々聖霊に満たされ、どこにいても光を放ち、主の栄光を現さなければならない。

私たちに与えられた賜物を携え、託された使命を果たすとき、神は私たちに驚くべき恵みを施してくださる。日々この使命を担い、前進また前進する貴い主の働き人となることを祝福する。


✟ 決心の祈り

一生涯イエス様を信じること以上に大きな祝福はありません。「幸福への招待」をお読みになり、救いの確信を得たい方は、この祈りの言葉に従ってお読みください。

天の父なる神様、私は罪人です。どこから来て、なぜ生き、どこへ行くのかも分からず、さまよいながら生きてきました。私の罪を赦すために十字架で死なれ、復活されたイエス様を私の救い主としてお迎えいたします。私は神の子どもとなりました。今からとこしえまで主と共に生きてまいります。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。


🌟 出会いと変化(証し)|いのちを主管される主に人生を委ねて

イ・ジョンファ 執事(西大門大教区)


私の両親は今、長老と勧士として教会に献身しているが、私たちの家庭は先代から不信仰であった。

両親は結婚後、一人目の赤ちゃんが生まれてまもなく二人の子どもを相次いで亡くす痛みを経験した。その苦しみはとうてい想像を超えるものだった。

父は家族の生計のために昼夜を問わず働き、あちこちに身を寄せながら母は体調が悪いにもかかわらず病気がちだった。仏教にすがっていた両親の努力は何の甲斐もなかった。

私が小学校に入学する頃、私たちの家族は伝道を受けてヨイド純福音教会に通うようになった。礼拝を捧げると、そして母と私の病がすっかり癒やされた。

私は教会を去った後に再び訪れ、景気の良い時など一度も経験したことがなかったが、健康を回復できた。

神の救いを体験した両親は、私たちの家庭を信仰の家庭へと変えてくださった。母はいつも私に「神のそばを離れてはいけない。神が生かしてくださった」と言い聞かせた。私は両親のもとで大きな愛を受けながら成長し、神の保護を感じていた。幼児教育を専攻した後、結婚して三人の子どもを授かった。

結婚した当初、上の双子の姉妹を年子で育てるのはいくら頑張っても大変だったが、三人目はなかなか授からなかった。長い努力の末に養子縁組を決意した。

養子縁組機関を通じて一人の子どもに出会い、養子縁組の準備をしていたところ、別の家庭にその子は養子に行くことになった。ところが驚くべきことに、そのとき自然妊娠していたのだ。その子はもう14歳になり、中学校入学を控えている。

私は神に感謝し、教会と子どもたちの学校、地域社会でさまざまなボランティア活動をしてきた。今は教育庁に所属する調査官として学校で起きる事件を担当する学族調査官として活動している。

調査官として学科と学部、教師たちと面談し事件を把握する過程の中で仲裁もする。資格証や学歴、職業的経歴も必要であり、試験に合格してこそできる仕事だが、多くを知れば知るほど解決の助けになるということを現場で感じている。

子どもの家庭環境が改善されなかったり劣悪でどうしようもなく追い込まれていく状況にある子どもたちやその親を見ると、心が痛む。相談をしてみると、心理的な打撃を受け体も痛くなるが、それでもなお生きる意味を見いだそうとしなければならない。

どんなに忙しく疲れていても断食祈祷を欠かしたくない。一日を生かしてくださった神に感謝し、困難なことも神に訴えれば、神が助けてくださることを知っている。何よりも種々の証拠が重要で力となる。

西大門大教区3400名の集いに義務的に参加し、カンボジアと日本の短期宣教にも出かけた。環境的には行ける状況ではなかったが、赴いた先々で神の慰めと歴史される働きを体験した。

人生は苦難の連続だが、一日を感謝して生き、苦難を乗り越えさせてくださる神に感謝しながら、神が与えてくださった恵みを人々と分かち合い生きていきたい。

整理=ポク・スンヒ記者


📋 定期礼拝案内

礼拝名礼拝時間礼拝場所
主日礼拝第1部 7:00 / 第2部 9:00 / 第3部 11:00 / 第4部 13:00 / 第5部 14:30 / 夕拝 17:00大聖殿
水曜礼拝第1部 10:30 / 第2部 14:00 / 第3部 19:30大聖殿/パウロ聖殿/大聖殿
土曜礼拝7:00大聖殿
金曜聖霊大望会20:30大聖殿
早天祈祷会第1部 5:30(月〜金) / 第2部 6:30(月〜金)大聖殿 / エルサレム聖殿

🌍 外国語礼拝

言語時間場所
英語主日 9:00 / 11:00世界宣教センター2階
英語日曜学校主日 10:45世界宣教センター1階102号
英語青少年主日 11:00第2教育館10階1001号
中国語主日 12:40ビジョンセンター6階
日本語主日 13:00第2教育館10階1001号
インドネシア語主日 11:00第2教育館10階1007号
ロシア語主日 14:30第2教育館10階1007号
スペイン語主日 15:00世界宣教センター2階

♿ 障がい者大教区礼拝

教区時間場所
肢体・視覚教区(土) 10:40大聖殿B1 アンティオケ聖殿
聴覚教区(日) 9:00, 11:00 (水) 10:30第2教育館7階
視覚教区(土) 11:00 (日) 13:00大聖殿B1 視覚教区室
視覚希望部(日) 12:30第2教育館7階
望み部(土) 11:00 (日) 11:00エペソ聖殿
青年部(日) 11:00 (水) 19:30大聖殿B1

🚌 シャトルバス(烏山里チェ・ジャシル記念断食祈祷院)

区間出発時刻
教会→祈祷院7:00 / 8:30 / 10:30 / 12:00 / 14:00 / 15:30
祈祷院→教会8:30 / 10:30 / 12:30 / 14:00 / 16:30 / 18:00

住所:京畿道坡州市鳥里邑登院路391番ギル42 / 問合せ:(02)6181-9182〜8 / www.fgpray.com


ヨイド純福音教会 純福音家族新聞社 / ☎ (02)6181-9191 / www.fgnews.co.kr
※説教全文は www.fgnews.co.kr でご覧いただけます。

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