今日は宗教改革主日です。1517年10月31日、ドイツの司祭マルティン・ルターがローマカトリック教会の腐敗に抗してヴィッテンベルクの教会の門に95カ条の提題を貼りだしたことが口火となって大規模宗教改革運動につながりました。地上の教会は日々改革される中で、主が喜ばれる姿で存在しなければなりません。しかし改革のスタートは何...
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ルカの福音書15章には失われた人を探す神様の愛を見せる放蕩息子の話が記録されています。私たちは普通、父の家から離れて財産を使い切った次男だけを放蕩息子だと思います。しかしその家にはお父さんの真の愛を悟ってないまま枯れて、形式的な人生を生きていた他の放蕩息子、即ち兄息子もいました。 1.他人を判断する人生 弟が父の財産を...
創世記6:8しかし、ノアは主の心にかなっていた。 人が地上に繁栄し始めると、人間は神の霊が共にしない状態、つまり肉体中心に堕落します。 そして、神様は人間の心で考えるすべての計画がいつも悪であることをご覧になり、地上に人を造られたことを嘆かれたと聖書は明らかにしています。 それで、心配され、創造した人から家畜と這うも...
それゆえ、あなたがたは、神に選ばれ、神に愛された聖なる者のように、憐れみと慈悲と謙遜と柔和と柔和と忍耐を身に着け、誰か誰かに不服があるなら、互いに容認し、互いに赦し合い、主があなたがたを赦したように、あなたがたもそうし、このすべての上に愛を加えなさい、これは完全に結ぶ帯である (コロサイ3:12-14) 使徒パウロは...
古代ギリシアには俳優たちが多様な感情を表す仮面をつけて演劇をしました。その仮面をペルソナと言いました。しかし演劇だけでなく、実際人生の中でも仮面を被って生きている人々がいます。イエス様を信じ聖霊様を迎え入れて生きるクリスチャンたちは、人本主義の仮面を脱ぎ捨てて、ただ神様の召しにしたがう人生を生きていかなければなりません...
詩篇42:5わがたましいよ、なぜおまえはうなだれているのか。私のうちで思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。御顔の救いを。 感激的な礼拝を捧げられず、大切な聖徒の交わりさえ失われると、心の中にどんどん不安と落胆が生まれます。これがまさに霊的な停滞です。 この時、詩人は「神に望みを置きなさい」と...
詩篇42:1鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、神よ私のたましいはあなたを慕いあえぎます 礼拝の喜びを失ったある逃亡者の切実な祈り文の形式で書かれたこの詩は、骨に沁みるほど礼拝への憧れを涙で表現しています。 特にタイトルを見ると、ダビデの時代以降、賛美詩の保管を担当してきたゴラの子孫の信仰告白的な教訓を含んでいるという...
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